小さい頃に死にかけた時の話を書いていきます〜(*実話です)
やっぱり死にかけた時のことはよく覚えていますww
では参ります。
小学校4年生の時に死にかけた話
当時は小学4年生で他の同い年の友達に比べて体も小さくヒョロヒョロな体つきでした。
その日は休日で、家族で福岡の能古島という島に遊びに行く予定でした。
しかし、人がいっぱいいたので断念し、愛宕山の神社に行くことになりました。
愛宕神社は山(低いけど)の上にあって、車で登っていける場所です。
その時に乗っていた車は、トヨタのプラドで大きめの車でした。
僕は後部座席の左側に座り、真ん中に妹、右側に兄がいました。
もちろん助手席には母、運転手は父でした。
僕は後ろの席で遊んでいて、父は結構スピードを出していました。
カーブに差し掛かった時、僕はまだクネクネ遊んでいました。(*ドアはロックされていません・・・)
そして次の瞬間、遊んでいた僕の手がドアに引っかかり開いてしまいました。
カーブだったので、遠心力で僕は投げ飛ばされて顔面から地面に叩きつけられました。
落ちたら死ねるくらいの高さの崖のすぐ手前まで転がりました。
その時の記憶はまだ頭に染み込んでいます。
本当に死ぬってなったらスローモーションみたいになって、頭が真っ白になるんだなぁっと今でも思っています。
しかも、顔面から落ちたのでクソクソ痛いはずなのに落ちた瞬間は全然痛くなかったです。
でも生きてるってわかった瞬間、めちゃめちゃ痛くなりましたwww
落ちてすぐに車は止まり、どこも骨は折れていなかったので走って車に戻りました。
家族みんなアタフタでした。
顔からいっぱい血が出ていたので幼い僕は本当に死ぬと思い、泣いていました。
父は病院に急ぎ、母は「大丈夫、大丈夫」と言ってました。
妹はなぜか僕の心配ではなく父の心配をしていましたwww
「けんちゃん(僕)が死んだら、父さんが逮捕される〜」とww
あの・・・まだ生きてますが・・・ww
病院に着くとなぜかすごく安心できました。
血を洗って、検査してもらい、デカい絆創膏みたいなのを顔に貼って帰りました。
傷口からアスファルトの一部と菌が入っていたので何度も通院して傷口を縫ったり、レーザーで菌を焼いたりしました。
縫うのはすぐ終わったのですが、レーザーが何回もあったので嫌でしたね〜
最初の方は部分麻酔をしてレーザーを当てていたのですが、最後の方が麻酔なくてもよかろ?って言われて麻酔なして焼いてましたwww
まぁ実際、麻酔自体が痛かったので麻酔が無い方が良かったかもです。
顔なのでレーザーで焼くとすぐに人間の皮膚の焼けた匂いがして気持ち悪かったですね。
学校も長いこと休みました。
なぜなら、デッカい絆創膏を顔につけてみんなに会うのが嫌だったってのもあります。
数日後、父がG-Shockを買ってくれました。
全然父のせいじゃないけどwww
死にかけるとその後の人生に影響はもちろんする
この死にかけた体験によって、僕は車を運転する時に絶対最初にドアのロックを確認しています。
あの事件の直後は後ろのドアは内側から開かないようにしていましたが、不便なので今は普通に中からでも開けれます。
小さい頃に死にかけると、すごい用心棒になります。
少なくとも僕はなってますwww
高所、閉所、足の見えない海(沖)、お化け屋敷(あんま関係ないかww)が苦手、他にもいろんな悪い状況を頭の中で描いてしまいます。
悪い状況を想像するのは人間の防衛本能だと聞いたことはありますが、僕の場合は結構頻繁に想像してしまい、物事に集中できません。
色々マイナスな面もありますが、今生きていることがすごく幸せってのがよくわかります。
以下は、かりゆし58さんの「さよなら」の歌詞の一部です。
命は始まった時からゆっくり終わっていくなんて信じない
僕が生きる今日は、もっと生きたかった誰かの明日かもしれないから
以上です。
生きているだけで儲けもんです。
死を間近に体験することで、はっきりわかります。(時々見失いますが)
小さい頃でもこんなに頭に残っているとは。
この体験は貴重なものですが、できればもうしたくないですねwww
では良い人生を、、、